クリエイティブって何ですか?

2017年9月〜2018年3月末までの7ヶ月間のクリエイティブ日記。世界的にクリエイティブと呼ばれている会社でクリエイティブと呼ばれている仕事をする。クリエイティブであり続けることを求められる7ヶ月間を記録することを通して、クリエイティブとは何か、クリエイティブは何ができるのかについて考えるブログでしたが、その後その環境に身を置きながら、まだまだ答えを探してます。

正しさとクリエイティブ

 最近、よく考えることがあります。「クリエイティブに考えることが常に正しいのか?」と。クリエイティブとは何かはまだわかりませんが、少なくとも「何か新しいもの」であることは現時点では間違いないのではと考えています。クリエイティブに考えることが大切だとよく言われますが、新しいものがいつも正しいのか?という疑問が僕の中に浮かんできます。大学や研究機関などの研究においては新しさがないと意味はありません。なぜなら、研究とは先人たちの研究の上に乗り、先人たちがまだ発見していないことを発見し、後世の人たちに残す行為だからです。しかし、ビジネスにおいてはどうでしょう?新しくなくても商品が売れれば良いのではないでしょうか?消費者が喜べば良いのではないでしょうか?もし、消費者が新しいものを常に求めているのであればクリエイティブであることは正しいと思います。しかし、消費者が求めているものが正しいものだとしたらどうでしょう?クリエイティブに考えることは正しいのでしょうか?こんな疑問が最近頭の中をよぎっています。これも、広告代理店で働きながら学会に参加したことから生まれた疑問です。学会は楽しいです。なぜなら、常に自分が知らないことが転がっているからです。学会にいる人たちはみんな楽しそうです。なぜなら、常に新しいことに出会い続けている人が集まっているからです。そう考えると、正しい商品やサービスや表現を常に送り出すことが良いことなのか疑問が浮かびます。正しいものばかりだと人は幸せになれないんじゃないかと思います。世の中が便利になって、みんなが同じように過ごすようになっていることになんとなくの違和感を感じています。”世の中が正しさで凝り固まっている”とも言えます。だから、今の時代だからこそクリエイティブの力が必要なのじゃないかと思います。正しいことで凝り固まっている世の中なのに、息苦しさを感じてしまうのは”正しいとされていることが実は正しくない”のではないでしょうか?そういう状況において、クリエイティブに考えることは正しいのだと思います。

”正しいと思われていることが正しくないときクリエイティブが必要”だと僕は思います。

クリエイティブは使い所次第。なんとなくこんなことを考えています。

 

<一言>

天才じゃないんだから、やれることをやろう。そしてクリエイティブに考えよう。正しいことは他の人の方がやれる。じゃあ僕らの価値はクリエイティブに考えること。