クリエイティブって何ですか?

2017年9月〜2018年3月末までの7ヶ月間のクリエイティブ日記。世界的にクリエイティブと呼ばれている会社でクリエイティブと呼ばれている仕事をする。クリエイティブであり続けることを求められる7ヶ月間を記録することを通して、クリエイティブとは何か、クリエイティブは何ができるのかについて考えるブログでしたが、その後その環境に身を置きながら、まだまだ答えを探してます。

問題と課題とコンセプトとアイデア

問題、課題、コンセプト、アイデア。これらの言葉の関係性について考えたい。前提とそれぞれの磨き方を考える。まず最初に、問題は不満のある今の状況のこと。ただ、ここで大切なのが状況は過程ではなく結果であること。例えば、「売り上げが減っている」は過程であり、今回は状況ではない。今回における状況とは、「今月の売り上げが低い」である。これを磨くためには「なぜ?」という問いかけが必要である。ちなみに磨くとは具体的にするということに近いと思う。「今月の売り上げが低い」という問題を磨いてみると「ミカンの売り上げが低い」となる。一度磨いてみたら一度その問題に対する課題を考えてみる。課題とは問題を解決するための方法であり、今回するべきことである。ミッションと呼ばれることも多い。なので、今回の課題は「ミカンの売り上げを上げる」となる。しかし、良いミッションは具体性を持つ。例えば、「ミカンの売り上げを上げる」ために「ミカンの人気を上げる」など問題から少し距離がある方が良いミッションになりやすい。ただ単に、ミカンの売り上げが低いからミカンの売り上げを上げるでは実は何も解決になっていない。問題と課題との関係を見つめて、その間に自分の新しい考えが入っているのか?何か発見はあるのか?ということを問いかけると課題の質は向上すると思う。次にコンセプトについて考える。今回の課題は「ミカンの人気を上げる」とする。それに対してのコンセプトは「日本人が毎日ミカンを食べる」になるかもしれない。これは、”希望する状況”である。つまり、問題とは”不満の状況”でありコンセプトとは”希望する状況”である。そして、その”希望する状況”を叶えるのがアイデアだと思う。

以上のことを踏まえると問題→課題とコンセプト→アイデアの形は似ていることがわかる。しかし、それが”ネガティブなのか”と”ポジティブなのか”という違いがあると考えられる。

問題は解決するもの。

課題は達成するもの。

コンセプトは実現するもの。

イデアは実行するもの。

 

<一言>

クリエイティブな仕事をすることへの覚悟が足りない三ヶ月だった。その覚悟がない期間は全くもって面白くない。

面白くするための唯一の方法は「クリエイティブな仕事をする覚悟」。簡単なようでこれが一番難しい。

コピーライターとアートディレクターのアイデア共有

コピーライターは言葉を書く人で、アートディレクターは絵を描く人だと思っていました。しかし、今働いている会社では違う風に教えてもらいました。コピーライターは言葉からコンセプトやアイデアを考える人で、アートディレクターは絵からコンセプトやアイデアを考える人なのです。「コピーライターの書いた言葉をアートディレクターが絵にする」や「アートディレクターの描いた絵をコピーライターが言葉にする」という上流下流の関係性ではないのです。コピーライターとアートディレクターが一緒に考えて言葉と絵を作り上げて行くのです。つまり、コピーライターとアートディレクターは並列の関係性なのです。

そこで、問題になるのがコンセプトやアイデアの共有問題です。最終的には言葉も絵も必要なのに、共有の段階でコピーライターは言葉しか書いてきませんし、アートディレクターはスケッチしか書いてきません。そして、コピーライターは言葉で理解するのが得意で、アートディレクターは絵で理解するのが得意です。なのに、共有される方法はお互いに得意でない方法なのです。言葉が少し拙くても、言葉への理解が得意な人は理解できます。絵が少し拙くても、絵への理解が得意な人は理解できます。だけど、そうでない人にとっては理解できないのです。

では、どうすれば良いのでしょうか?方法は2つあります。1つ目はコピーライターが絵を描けるようになり、アートディレクターが言葉を書けるようになることです。2つ目はコピーライターはアートディレクターが理解できるような言葉を書き、アートディレクターはコピーライターが理解できるような絵を描くことです。後者の方法については、しっかりと詰めていく作業が必要になります。どっちが良いのかはわかりませんが、大切なのは一緒に企画をしていく仲間への思いやりだと思います。共有しやすくするために、少しだけ言葉を丁寧に書いてみたり、少しだけ絵を丁寧に描いてみたり。そういうことだと思います。

結論が出ないままきてしまいましたが、「良いアイデアを出すために頑張る」のではなく「良いアイデアを一緒に出すために頑張る」という心構えが大切なのではないかと思います。

 

<一言>

クリエイティブをなめてました。一案だけで通そうなんておこがましい。仲間の力を借りることが大切だ。

プロトタイピングという思考ツール

 プロトタイピングはなぜ大切なのか?プロトタイピングは何のためにするのか?このことについて考えてみました。結論から言うとプロトタイピングは言語化と視覚化と同様の思考ツールだと思います。そもそもプロトタイピングとは何か?僕が知っているプロトタイプングは紙やダンボールを使ったペーパープロト、カメラや動画編集ソフトを使ったビデオプロト、電子工作道具を使ったハードウェアプロトです。どれも共通しているのは具体的な形にすること。具体的な形にするとは言葉として左脳的に理解できる形にするのではなく、視覚的に理解することのできる形にすることです。ここから、「プロトタイピングとは視覚的なイメージを生むもの」だということができます。じゃあなぜ視覚的なイメージを生む必要があるのでしょうか?一つは、他の人とイメージを共有するため。もう一つは、視覚的なイメージを生むものを作る過程にあると思います。僕は特に二つ目の視覚的なイメージを生むものを作る過程が大切だと思います。なぜなら、プロトタイピングするためにはある程度具体的なイメージが自分の中にないとできないからです。例えばペーパープロトタイピングでは、それをどうやって使うのか?という具体的なイメージ。ビデオプロトタイピングでは、それをどこで使って、その結果どうなるのか?という具体的なイメージ。ハードウェアプロトタイピングでは、それがどういう機能を持ってどうやって実現するのか?という具体的なイメージが必要です。「ん?具体的なイメージを考えられるならプロトタイピングなんていらないじゃん」と思います。でも、具体的なイメージを考えるためにプロトタイピングをするんだと思います。プロトタイピングはあくまで思考のツールだと考えています。だから、回数を回すことが大切になってきます。プロトタピングは決して、完成品の前の試作品を作ることではなく、アイデアを具体的に、そしてブラッシュアップするためのものなのです。つまり、プロトタイピングは具体的なイメージを考えるような頭の使い方を促し、プロトタイピングを作る過程で自分が具体的にイメージできていない部分を認識し、実際にできたプロトタイプを通じて自分のやりたいことがあっているのかを検証するためのものだと思います。だから、プロトタイピングを通じてそもそも自分がやりたいことは何だったのか?自分が描いているイメージは正しかったのか?ということを考える機会にもなるんです。プロトタイピングを思考ツールだと考えることが大切だと思います。

 具体的にどうやってやるの?という疑問が浮かびます。そこで、とあるプロトタイピングを大切にしている研究室が実際に行なっていることを紹介します。この研究室では、アイデアを思いついた瞬間に、ビデオプロト、ペーパープロト、ハードウェアプロトを作るらしいです。ポイントはあらゆる種類のプロトを作ることだと思います。プロトタイピングの種類によって具体的な部分が違うため、全てを少しでも考えることは、結果として全体のアイデアの具体性を高めることにつながります。そして、この研究室では作ってすぐに人に見せて意見を聞きます。これももしかしたらプロトタイピングの一種なのかもしれません。トーキングプロトとでもいうのでしょうか。ただ、それができるのは、個人のスキルはもちろんのこと、個人が一つ一つ別のプロジェクトをやるのではなく、研究室メンバー全員が全てのプロジェクトをみんなでやるという認識があるからだと思います。そう考えると、実は”プロトタイピングをするための環境づくり”も大切なのかもしれません。

 

<一言>

自分のアイデア、人のアイデアという考え方ではなく、みんなのたくさんのアイデアというマインドを作りたい。それを邪魔するのは本当にしょうもないプライドだと思う。

 

 

 

 

 

正しさとクリエイティブ

 最近、よく考えることがあります。「クリエイティブに考えることが常に正しいのか?」と。クリエイティブとは何かはまだわかりませんが、少なくとも「何か新しいもの」であることは現時点では間違いないのではと考えています。クリエイティブに考えることが大切だとよく言われますが、新しいものがいつも正しいのか?という疑問が僕の中に浮かんできます。大学や研究機関などの研究においては新しさがないと意味はありません。なぜなら、研究とは先人たちの研究の上に乗り、先人たちがまだ発見していないことを発見し、後世の人たちに残す行為だからです。しかし、ビジネスにおいてはどうでしょう?新しくなくても商品が売れれば良いのではないでしょうか?消費者が喜べば良いのではないでしょうか?もし、消費者が新しいものを常に求めているのであればクリエイティブであることは正しいと思います。しかし、消費者が求めているものが正しいものだとしたらどうでしょう?クリエイティブに考えることは正しいのでしょうか?こんな疑問が最近頭の中をよぎっています。これも、広告代理店で働きながら学会に参加したことから生まれた疑問です。学会は楽しいです。なぜなら、常に自分が知らないことが転がっているからです。学会にいる人たちはみんな楽しそうです。なぜなら、常に新しいことに出会い続けている人が集まっているからです。そう考えると、正しい商品やサービスや表現を常に送り出すことが良いことなのか疑問が浮かびます。正しいものばかりだと人は幸せになれないんじゃないかと思います。世の中が便利になって、みんなが同じように過ごすようになっていることになんとなくの違和感を感じています。”世の中が正しさで凝り固まっている”とも言えます。だから、今の時代だからこそクリエイティブの力が必要なのじゃないかと思います。正しいことで凝り固まっている世の中なのに、息苦しさを感じてしまうのは”正しいとされていることが実は正しくない”のではないでしょうか?そういう状況において、クリエイティブに考えることは正しいのだと思います。

”正しいと思われていることが正しくないときクリエイティブが必要”だと僕は思います。

クリエイティブは使い所次第。なんとなくこんなことを考えています。

 

<一言>

天才じゃないんだから、やれることをやろう。そしてクリエイティブに考えよう。正しいことは他の人の方がやれる。じゃあ僕らの価値はクリエイティブに考えること。

クリエイティブにおける多数決

 クリエイティブと決断力とは切っても切り離せない関係にある。クリエイティブはもっともっとよくしたいと思っていつまでも粘れてしまう。個人でやるときはまだしも、「チームの決断力」は非常に難しい。多数決で決めれば良いという意見もある。だけど、「多数決で決めると平均化してしまう」というジレンマがあると思う。本当にそうなのだろうか?多数決だと本当にアイデアは平均化してしまうのだろうか?そう思うのは「チームメンバーへの信頼度」と「考え切った時間」が足りないからだと思う。もしも、チームメンバーに対して「真の信頼」。この人たちが言うんだから何かがあるんだと思えている、そしてそれが事実であれば、多数決でもアイデアは平均化しない。仮に自分の意見が多数決によって通らなくても、自分が思い浮かばなかった素晴らしいアウトプットが出る可能性がある。だから、信頼できる、信頼するということは本当に大切だ。信頼度を高めるには「一緒にご飯を食べる」「たくさん話をする」などがあるけれど、一番は「自分の知らないことを教えてもらう」だと思う。「考え切った時間」に関してはなかなか難しい。物理的に時間を伸ばすことはできるが、それは得策ではない。では、どうすれば良いのか?体系的に考えることだと思う。「ぼーっと考えているきがする時間」ではなく「解決方法を考える時間」を取ること。それは、巷に出ている本を参考にしても良いと思う。とにかく、アイデアを考えるのに全力を尽くす。これに関してはまだ答えは出ていない。だけど、「言語化」「視覚化」は一つの方法だ。

 

<一言>

表現力はコンテンツ力を高める。仕組みだけではなく、表現にもこだわっていきます。

 

クリエイティビティってなんだろう?

このブログのタイトルは「クリエイティブって何ですか?」なのですが、ふとこの文字が目にはいったときに「ん?クリエイティビティってなんだろう?」と思ってしまいまったので少し考えてみます。最近、「ピクサー流創造する力」という本を読みました。「ピクサーで働いている人たちはクリエイティビティを持っているか?」という質問を投げかけられたら多くの人が「ある」と答えるのではないかと思います。なので、ピクサーで働く人や考え方からクリエイティビティのヒントを探ることができると考えて、この本を読んでみました。もちろん、「創造する力=クリエイティビティ」ということもあったんですけど。結論から言うと「クリエイティビティ=恥じない力」だと考えています。読んだ感想。「ピクサーの人は子供っぽい部分を持っている」です。自分の部屋を自分の大好きなもので埋め尽くしたり、仕事に飽きたら外で遊んだり、大人数で会議したりなど、僕も子供の頃にはよくやっていたことをピクサーという会社は仕事として認めていました。「大人にはクリエイティビティがなくて、子供にはある」と多くの人は答えると思います。そうすると「大人にはなくて子供にはあるものなーんだ?」と問いかけてみるとヒントがある気がしました。僕の中ではそれが「恥じないこと」でした。それは、無知からきているものかもしれません。よく言われることですが、大人になると知識が増えることで他人と比較し始めて、「恥じること」に恐怖を感じてしまいます。そんな大人達がクリエイティブになるためには「恥じない力」が必要です。では、どうやったらその力をつけることができるのでしょうか?これは、非常に難しいと思います。でも、まずは子供の頃にやっていたことたまにやってみるのはどうでしょうか?絵を描く、すごろくをする、友達を呼んで64をする、海岸を走る、サッカーをする、公園でブランコに乗るなど。本当に簡単なことですが、やってみて昔の気持ちを取り戻すことで「恥じない力」をつけられるのではないでしょうか。あとは、日常の中で「ありがとう」「ごめんなさい」を心を込めていうことではないでしょうか。子供の頃には当たり前にできたことでも、今できなくなっていることは沢山あります。まずはその自分に気がついて少しずつでも取り戻していきたい。そう僕は考えています。

 

<一言>

また、山がやってきそうですが、5人で楽しみながらも厳しくやっていきましょ。

アイデアとコンセプトの違い

イデアとは何か?コンセプトとは何か?については正直わかってません。だけど、アイデアとコンセプトが違うということと、その関係性を理解できるようになりました。

”アイデアはコンセプトを実現するもの”

「人が好きな場所に自由に行ける世界」これは何でしょうか?これは、コンセプトです。これに対するアイデアとして「車を作る」が挙げられます。細かくいうと、「燃料で車輪が回って前に進む乗り物」であり、時代を考慮すると「燃料で車輪が回って前に進む鉄の乗り物」になります。そして、コンセプトに対してアイデアは当然一つではありません。「馬に乗る」「飛行機を作る」「どこでもドアを作る」もアイデアです。そして、この”アイデアを実現するためのアイデア”が必要になります。そうなると、次の段階では「飛行機を作る」ということがコンセプトになるかもしれません。つまり、「アイデアとコンセプト」の違いはあるけれど、「アイデア」と「コンセプト」は段階によって変わります。そして、具体的な作業に落とし込むまで、コンセプトとアイデアは生まれ続けます。この関係性を意識せずにアイデアとコンセプトの違いを考えてしまうと、どツボにハマります。大切なのは、”関係性”を理解することなのかもしれません。

 

<一言>

みんなで世の中に変化を与えましょう。